こまどり姉妹を襲った傷害事件と病気と借金|流しの歌手は嫌われた?

   

   スポンサードリンク
                   

こまどり姉妹が最近またテレビに出演しました。

お二人の壮絶な人生が振り返られ、衝撃を受けた人も多いのではないでしょうか?

こんなにお金に運がない人は見たことがない、こまどり姉妹も自分で言っておられました。

壮絶な人生を歩んだこまどり姉妹

そんな衝撃的なお二人のエピソードについてまとめて行きたいと思います。

こまどり姉妹の幼少期

わんぱく娘として知られ、近所の男の子達に馬乗りしてお尻を叩いていたと言います。

男の子達は叩かれれば叩かれる程喜ぶらしく、それが嬉しくって何度も何度も馬の調教師のように叩いていたとか。

しかし、幸せな幼少期は長く続かず、父親は日銭を稼ぐ為に炭坑街を転々とします。

ついに家賃が払えなくなり、家族全員で夜逃げをします。

お金の稼ぎを失った家族は姉妹を門付けにし、母は流しの歌手として一曲〜〜円で歌いますといろんな家の門を叩いていたそうです。

しかし、ある時、双子姉妹に目を留めた家で歌わせてもらえるようになり、このとき(14歳)から両親の為に流しの歌手として働きだします。

しかし14、15歳の娘には酔っぱらいの男性客によるイタズラに絶えられず、何度も辞めたいと思ったそうです。

母にそのことを相談しても、家族を養う為にはこれしかないから頑張ってと涙ながらに訴えられ、続けざるを得ませんでした。

それでも2人は当時(1950年代初旬)にして一日2000円は親に上納していたらしく、多いときで8000円も稼いだ日もあったんだとか。

こまどり姉妹の芸能界デビュー

流しとして活動しだして6年後の1959年、2人が20歳の時に日本コロンビア社長の泰米造さんの目に留まり、芸能界にデビューします。

デビュー曲は「浅草姉妹」
そしてその曲がミリオンセラー

立て続けに3曲発表してどれもヒット曲に!
「浅草の鳩ぽっぽ」「三味線姉妹」
どの曲にも浅草、もしくは姉妹という言葉を入れていて、分かりやすいプロモーションをしていたことが分かります。

芸能事務所も2人が浅草出身の双子姉妹ということで売り出したかったのでしょう。

スポンサードリンク

借金と傷害事件と病気の壮絶人生

姉の長内栄子さんがファンの方から毎日2通、しかも速達でファンレターが届くようになります。

そのファンの方は、手紙の中に長内栄子さんがテレビ越しに自分を見て笑ってくれたから好きになったと。

しかし長内栄子さんは「私は誰にも笑いかけてはいない」という今のアイドルが言ったら衝撃すぎる言葉で一蹴

そのファンの方は長内栄子さんと一緒になれないのなら、心中するといいナイフを持って公演に乱入。

あやまって妹の敏子さんの方を刺してしまいます。
腹部を3カ所刺されて重体に。
なんとか一命を取り留めた物の、芸能界に嫌気がさし辞めたいと思うようになります。

また敏子さんの腕には今でも生々しい深い傷が腕に残っており、当時の傷害事件が如何に衝撃的な物だったのかが分かります。

そんな芸能界を辞めたいと思っていた矢先、

事務所や芸能関係者の使い込みが発覚し、それをこまどり姉妹の所為にしようとした事務所のブレーン達のせいで、国税局がこまどり姉妹の所に取り立てにきて、借金が2億円になります。

その借金の所為で、そろそろ足を洗おうと思っていた芸能界を辞めることが出来ずに歌手活動を続けます。

借金の為にキャバレーでも流しの歌手として出演することが多くなります。

せっかく人気が出て、紅白に出れる所まで来たのにキャバレー出演歴がNHKにバレて念願の出演はかないませんでした。

さらに同じ年に母が胃ガンであることが分かり、
妹の敏子さんもガンであることが発覚
余命六ヶ月と診断され闘病生活にはいります。

しかし、六ヶ月後、見事に復帰して芸能界にカムバック。

見事な歌唱力で今の地位を築いていらっしゃいます。

まとめ

2人はこう言っています。
「歌が好きで歌手になったわけではない。」
「今でもお金が欲しくて歌ってるの」

生きる為に歌ってきたお二人の壮絶な人生

現代の歌手の方とは少し違う雰囲気をもっていらっしゃるのも納得ですね。

    

    スポンサードリンク
         

    

コメントを残す

サブコンテンツ

このページの先頭へ